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2008年9月25日 (木)

知覧へ行く

枕崎から加世田経由で知覧へ。

知覧という町は規模は小さいものの、武家屋敷、お茶、そして特攻と、見所たくさんの町のようです。以前から行きたいと思っていて、今回やっと実現しました。まずは特攻関係の資料がある知覧特攻平和記念館へ。バスターミナルからやや離れた丘の上にあるので20分ぐらい歩く。その道ぞいにずっと灯篭が並んでいます。

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場所がら、特攻隊の勇士達を慰霊するものだと解ります。灯篭にはあどけない子供のような表情の勇士が刻まれています。それが延々と続いています。聞けば知覧から飛び立って行った勇士たちと、ほぼ同じ数の灯篭が知覧飛行場を中心にして、特攻隊の遺族や関係者、知覧の町の有志によって建立されたものだそうです。延々と続く灯篭の道。特攻の時代を知らない私にはやや滅入ってきたのが正直なところです。

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知覧特攻平和記念館の入り口は、見事な桜並木が続いています。春には見事な桜のトンネルになっているでしょう。

私が訪ねた日は、お盆休みの真っ最中。家族連れが観光施設の一つとして訪ねています。そんな雰囲気の中で知覧特攻平和記念館を訪ねたのは無理があったかもしれない。物心付く前の子供が館内を歓声を上げて走り回っている。でも大多数の老若男女は、館内掲示物のメインである、特攻隊の勇士が書き残した遺書を読んでいます。

これらの遺書は出撃直前に隊内で書かれた、いわばオフィシャルなもの。「敵を撃滅」とか「万歳」という勇ましい文字が並んでいますが、よく読んでみると、育ててもらった父母への感謝の気持ち、故郷の思い出を綴った文章が並んでいます。私は涙を流してしまいました。私だけではないようで、隣の若いカップルも、老夫婦もハンカチで涙をぬぐっています。

特攻という戦術を、今の視点や価値観で否定するのはたやすい。でも知覧から出撃した勇士だけでも1000人以上。海軍部隊として主に大隈半島の鹿屋から出撃した人数を含めると、数千人の若者が飛び立ってゆき、そして帰ってきませんでした。この現実をどう受け止めるかは、記念館を訪れた全ての人が深く考えるべきことでしょう。

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